kobutane1129’s diary

twitter : @kobutane1129

なんで男の子でしか物語が書けないのか

性別を超えた愛、境界を越えること。
うんうん、ご立派だな。でもそれを描きたいなら女でやれよ。なんで男でやるんだよ。

それは確かにその通りで、申し訳ないと思う。すまない。
でも私がそうであるように、多くの女は女を主人公に夢物語を描けないんだ。

 

2歳児はすべて(たぶん、すべてと言っていい)アンパンマンが好きだ。
プーさん、とらじろう、ぐりとぐらニャンちゅう、花かっぱ、おさるのジョージミッキーマウス

己の性別を意識する前から物語の主人公は男の子だった。
ライダーものは男の子向けで、プリキュアは女の子向け。4歳から5歳のとき、ほとんどの子がここを通り、自分の性別を意識する。


でも、ドラえもんは男の子向けではない。

しずかちゃんの風呂をのぞいて真っ赤になってもだえる男の子が登場する物語を、10歳の女の子も一緒に笑って観て育つ。

 

未就学児が見る番組で、女児が主人公で、その子の魅力が「女」であることに寄らない、つまり、おしゃれやお菓子作りが得意でかっこいい男の子に好かれるというようなこと以外でその子の魅力が描かれる、そのような番組は、15年前、がんこちゃん、ただ1作だった。

40年前もきっとその程度だったし、今もたぶんそうだろう。

 

忍たまおじゃる丸かいけつゾロリクレヨンしんちゃん妖怪ウォッチポケモン、ワンピース。

叱られるけどやりたいこと、危ないけど面白そうなことに飛び込んでいく。そのワクワクを主人公にゆだねるとき、その性は自分とは異なる性だった。
ドジだったりお調子者だったり失敗したり叱られたり。そんな多彩な主人公は男の子。

異性の風呂をのぞいても、男の子は許される。


でも、女の私は許されない。
女は良い子じゃなくちゃいけない。


だから、私小説のように自分の内面を語る話じゃなくて、その外側を、夢や理想や冒険を描くとき、自分が傷付かないファンタジーを夢想するとき、その主人公が「女」じゃないなら、男の子にするしかないんだ。

これはもう、自意識が生まれる前から刷り込まれてどうしようもないことなので、どうか許してほしい。

 

私はもうだいぶ昔に気づいて、そしてあきらめている。
私はきっと、この人生で、大通りの中央を歩くことはできないんだな、と。
社会の、世界の、大通りの中央は50代男性ビジネスマンのもので、私はどんなにがんばってもきっと、その端を小走りについていくだけなんだろう。
女だから。


女ではなくても。
男性的になれず、女性的になれず、社会のあるべき姿にどうしても添えない。学校や職場や家族などの所属を聞かれたときに返事をする前にすこしだけ心のガードを上げておかなければならない。どうして自分はこうなんだろう、と痛みと情けなさを抱えて、社会の、親の、自分の望むようになれない。

 

私がYOIに感じた開放感は、きっとそういう人たちも感じたんだと思う。
「普通ではないことの、何がいけないというのか」
普通ではないことが認められ、祝福される世界。

 

もしかすると、ガルパンに夢中になる男性諸氏もこんな感じなのかな。
戦争はいけないこと。美少女に萌えるなんて恥ずかしい。
でもこんなに仲間がいる。聖地巡礼で現実に承認される。
押し込めていた、自覚することもなかった、良い子でなくてごめんなさい、という気持ちを、いっときでも解放してくれる喜び。

 


(読み返して気づいたけど、私にとっての大通りの中央が、美人で地位もお金もある女性、とかじゃないって時点でいろいろ終わってるw)